Wnn開発

『私の名前は中野です』 を一発で変換して欲しいと主張・・・・・・・

~ Wnn 開発の思い出 ~
EWSシステム事業部 販促課
中野 秀治

 

      • 1986年5月、研修センタ会議室で、新しいプロジェクトのキックオフ・ミーティングが行われた。 オムロン(当時は立石電機〉・アステック・京都大学・慶応大学が共同でワークステーション用の新しいソフトウュアを開発しようというプロジェクトだ。 結局マルチウィンドウシステム(後にGMWと命名)と、日本語処理(厳密には、かな漢字変換)システム(後にWnnと命名)を開発することになり、私が日本語処理聞発チームのオムロン側窓口となった。
      • 会議の席上、京大側は、かな漢字変換は単文節変換で十分ではないかという意見を出してきた。しかし、当時パソコンのワープロソフトは文章一括変換が主流。「いくらワークステーションだからといって、今から聞発するのだから、せめて『私の名前は中野です。』という文を一発で変換して欲しい。」と主張したのだった。
      • 週1回、京大数理解折研究所で行われる設計会議に出席した。 京大側は、時聞にルーズであったり、約束を守らなかったりして、始めのうち腹が立ったが、大学と企業とでは支化が違うのだ、すくれたシステムを作るのが第一目標なのだ、と自分に言い聞かせて我慢した。
      • 何回目かの設計会議の冒頭で、京大のY助手が黒板にWnnと書いた。 「これが、我々が今聞発している日本語処理ンステムの名前で、[ ウーンヌ ] と発首します。」と説明があった。 「Wnn」の意味を聞いて一同大笑いし、そしてその後、誰も反対しなかったので、自然に名前が決まっていった。
      • 10月頃から、開発の舞台は KABAに移った。KABAは、丸太町通りの近くの洋裁学校を間借りしたところにあった。 KABAには、仮眠場所があって、漫画本や食べ残しの食晶が散乱し、まるで体育会系の部室のようであった。院生たちはよく徹夜をしていたみたいで、私が朝訪ねると、たいてい眠っていた。 Wnnは、こんな劣悪な環境かり生まれたことを知って欲しい。 KABAに行くたびに私が行った最初の作業は、部屋の掃除であった。
      • Wnnを開発した主力部隊は、院生(当時)のTさん・Sさん・Nさん、そしてアステックTさんであったが、もともとLispでロジック開発されたものを、C書語にインプリメントしたのは、才ムロンの協力会社の橋本・古野・有馬の3氏てあっだことを特記したい。
      • 12月30日夜、仕事納めの日、私ど山崎(オムロン)は KABAにいた。冬体みにアメリカ旅行をするという院生たちに、件業を早めてもらうために立ち会わねばならなかったのだ。 終電車を気にしながら KABAを出ると、雪がちらついていた。(了)

 

※月日不確か


Mailbox Vol.26 1991年9月30日号より。 なるべく本来の文章をそのまま復元しましたが、文中オムロン関係者以外はイニシャルに変更させていただきました。 Web化は増田。