今月のひとこと2007年10月号

10月1日

やっと暑い夏も少しはマシになってきて、お盆から始まったサブプライム問題に端を発した株価の下落も、ここで2番底を打ったのではないでしょうか。 あのように大きく下落した後は少しあがり、その後に2番底が来ると言うのが一般的な傾向で、これには3-5ヶ月と言うのが常識。 ところが最近はだんだん早くなってきて、1ヶ月程度になっているとすれば、この9月末がそうだと言うことになります。 過去の例がそのまま通用しないと言うのが面白く、いつまでも本屋で株式チャートや必勝法の本が売れるのでしょう。

最近、江戸時代にハマっているとお伝えしましたが、先日何気なくTVを見ていたら、日本で始めて反射望遠鏡を作った国友一貫斎の話題が放映されていました。 1836年には精密な、現代でも通用するような、月面のスケッチが残されています。 ガリレオガリレイが月面を観測したり、木星の衛星を発見したのは、1600年ぐらいですから、100-200年ぐらいの差で日本でも本格的な天体観測が行われていたことになります。 1700年ごろには国産の望遠鏡が作られています。

数学の問題と回答を描いた算額が各地の神社に残されているように、江戸時代の庶民のレベルは非常に高いものがあるようです。 まあ一種の暇つぶしですが、その暇つぶしを、何とか道とか、高尚な趣味まで持ち上げてしまう量と質の高さがすばらしいと思います。

国友一貫斎の望遠鏡がすごいと思うのは、グレゴリー式と言う、いわゆる望遠鏡の形をしていて、筒の反対側から上を覗くのですが、これが反射鏡を2つ使ったものを言います。 従って、主鏡には真ん中に穴が空いています。 この鏡を金属で作ってあって、ビックリするのは、200年経った今でも光り輝いていることです。 現物は長野県の上田市立博物館に収蔵されているようです。 7cmの直径で40cmの長さがあるそうです。

何故200年も曇りが出ないか、と言うと鏡は銅と錫の合金つまり青銅とかブロンズとか言われるものですが、通常の合金に比べて、錫の含有量が多いそうで、単に多くすると、ひび割れが出て作れないそうです。 これを作ってしまったのは、恐らく日本古来の和鏡の技術であろうと思います。 京都には和鏡の一種の魔鏡を作るところがあって、TVでも紹介されていましたので、ご覧になった方も居られると思います。 鏡には何の模様も無いのですが、光を反射させて、白壁などに映すと像が浮かび上がると言うものです。

国友一寛斎でもっとビックリしたのは、鏡が単に曲面ではなくてキチンと放物面になっていることです。 外国の望遠鏡や文献を参考にしたのでしょうが、放物面が必要と言う事と、それを実現する方法などを自ら工夫して完成させたと言うのは驚くほかはありません。 単なる曲面の鏡でも一応の像は見ることは出来ますので、そこからの試行錯誤なんでしょうが、現代の望遠鏡と同じモノが出来ていると言うのはビックリします。

今月の読み物は、いつかご紹介した、輪違屋の当主が書いた本。 京の花街「輪違屋」物語 (PHP新書 477)高橋 利樹著。 先日TVで2週間に渡って、新田次郎作輪違屋糸里が上戸彩主演で放映されました。 京都守護職の松平容保がひょこひょこ出てきたりするのは、ご愛嬌で全体にお話ですが、輪違屋と八木邸のセットはキチンと出来ていました。 芹沢鴨が暗殺される直前に宴会を開いていた角屋は、何故か登場せずに、蓬莱屋とかなっていて、角屋はもっと立派です。 また、最後の宴会の場面も、角屋の2階の座敷はもっと広大ですし、1階の松の間は松が有名ですが、全く登場しない。 予算がなくなってしまったのか、なんなのか。

本書は、輪違屋当主の本音が出ていてなかなか面白い。 花代が高いと思うのは京都人、東京人は安いと言う、大阪人は何も言わないとか、祝儀が常識以上に多いのは馬鹿にされるとか、渡す時はさり気なく渡すとか、京都お座敷のお約束事もあります。 花街間の芸子のトレードを防止するために踊りの流儀がそれぞれ異なるとか、西陣に近い上七軒の芸子の帯は立派だとか、なるほどと言う話が満載。

出版社/著者からの内容紹介
京都・島原といえば、かつて興隆をきわめた、日本でいちばん古い廓(ルビ:くるわ)。幕末の時代、新選組が闊歩したことでも有名である。その地でたった一軒、現在でも営業を続けるお茶屋が、輪違屋(ルビ:わちがいや)である。芸・教養・容姿のすべてにおいて極上の妓女(ルビ:ぎじよ)、太夫(ルビ:たゆう)を抱え、室町の公家文化に始まる三百年の伝統を脈々と受け継いできた。
古色なたたずまいを残す輪違屋の暖簾をくぐれば、古(ルビ:いにしえ)の美しい女たちの息づかいが聞こえてくる。太夫のくりひろげる絢爛な宴は、多くの客人たちを魅了し続けている。
本書では、輪違屋十代目当主が、幼き日々の思い出、太夫の歴史と文化、お座敷の話、跡継ぎとしての日常と想いを、京ことばを交えてつづる。あでやかでみやびな粋と艶の世界—-これまでは語られることのなかった古都の姿が、ここにある。

“今月のひとこと2007年10月号” への3件の返信

  1. 松平容保

    松平容保 松平容保像松平 容保(まつだいら かたもり、天保6年12月29日 (旧暦)|12月29日(1836年2月15日) – 明治26年(1893年)12月5日)は幕末|江戸時代末期の大名・陸奥国会津藩の最後で9代藩主である。京都守護職でもある。美濃国高須藩|高須藩主…

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください