今月のひとこと2016年2月号





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2016年2月1日
年明けから大騒ぎの2016年になりました。 申酉騒ぐの格言が年明けから実現しました。 さらには甘利大臣の辞任、マイナス金利の導入とか、年明けの本欄ののんびりムードとは大違いの大波乱になってしまいました。

甘利大臣の辞任は、政権の支持率にはほとんど影響せず、辞任発表時にも株価や為替はほとんど動きませんでした。 TTPにしろアベノミックスにしろそれなりに方向性が見えているので、大臣の辞任には影響を受けないと言うことでしょう。 本人としては、もっと反応して欲しいと思うところでしょうが、ひょっとしたら、無反応が一番の心のダメージではなかったのでしょうか。

いずれにしても政権のダメージコントロールという点では非常に高いレベルであったと思います。 辞任を引き留めて、予算を何とか仕上げて、消費税増税も延期して、3月に解散と言うのが最もアグレッシブなシナリオだったのではないでしょうか。 安倍政権ならやりかねないですね。

日銀のマイナス金利も、甘利辞任の影響を中和する大きな手でした。 国債購入の増額はこれ以上難しいので、残るはこれしか無いとは思っていましたが、一気に0.1%でしたが、良く見たら新規の預金に対してで、すぐには実際の影響は出ない日銀としては負担のない、しかし影響が見えない打ち手でした。 これで手詰まり感が出ていた黒田日銀の「何でもやる」と言うことを実証したカタチです。

しかし業績が悪化する銀行の株価は下がりに下がり、逆に業績悪化で貸し出しが減るのではないかとの観測もあります。 海外の例では長期金利の下落にも関わらず、住宅ローンなどの金利は上昇しているとのことで、今後は日本でも上がっていくのでは無いでしょうか。 普通預金などの金利は下がるところまで下がっているので、これ以上の下落やマイナス金利は考えられず、事業向けの融資は金利を上げるわけにも行かないので、残るは個人向けの住宅ローン金利の引き上げではないでしょうか。 現在でも0.5%とか極端に低い金利になっているのが気になります。

このずーっとマイナス金利プランの広告を見たときは、ひっくり返りました。 標準金利より1%引きと言うことだったのですが、 最初見たときはビックリ。

ITの世界の話題は、何と言っても囲碁のプロ棋士にコンピュータが勝ったと言うニュースでしょう。 人によっては予想より10年早かったと言う見方もあります。 技術的には、Deep Learning が極めて有効に作用したのだと思います。 本欄でも何回も取り上げていますが、この Deep Learning と言う技術は、開発した当人たちも予想していなかった効果を発揮したと言うことで、いわば人知を超えた技術になっていることも画期的であると言う理由の一つです。

初めてiPhoneの音声認識のデモを見たときは、単なるデモで本当では無いと思いました。 それまでもいろいろな機器で試してみましたが、ほとんどまともな認識はせず、当時の音声認識のレベルでありました。 あるときに試しにスマホでGoogleの音声認識の検索を使ってみましたが、固有名詞を突然発音してもちゃんと認識するのには驚愕しました。 その後いろいろ試して、単語辞書との比較をしているのか、辞書に無いだろうと思われる単語は、何回やっても間違えて、認識しませんでした。

音声認識の第一世代は、Hiden Markovモデルに寄るもので、これで初歩的な認識は可能になりましたが、話者は同一でしかも事前の学習が必要、話す環境も周囲雑音の無い理想的なところで無いと認識しませんでした。 これが現在の第2世代では議会の議事録の作成にも使えるほどレベルが上がったのです。

第一世代の技術をいくら改良しても改良は遅々としていたので、その延長上にまともな音声認識があるとは思えませんでした。 改善の方向は、人間でも知らない言語は聞き取れないのと同じで、音声認識にも意味理解が必要と感じていましたが、意味理解はもっと難しく、その実現は先だろうと思っていたところに、現在の第2世代が現れました。

この第2世代の基幹技術の Deep Learning が本当に画期的なのは、その名前でも感じられるように、学習過程があらかじめ決められたアルゴリズムによるものでは無くて、コンピュータがそれを決めると言う人知がそこには及ばない仕組みになっていることです。

コンピュータの機械語の時代は、ワンステップずつの実行がプログラマに寄って規定され、その動きは完全に予想できるものでした。 当時の最優秀なプログラマは、コーディング段階でのバグゼロを実現出来ていました。 その後、文字通りの機械語はほとんど使われず、アセンブラによるラベル自動アロケーションで、少しは物理的なメモリ配列より抽象的になりました。

当時のマイコンの発達により、メインフレームの技術である仮想メモリ技術が取り入れられ、少なくともメモリ配列に関しては、完全に抽象化され、人知のおよぶところで亡くなりました。 同時にコンパイラが進歩し、プログラマが書くコードと機械語の一体感はなくなり、コードそのものが抽象化されました。 さらには、プログラム構造もオブジェクト指向で抽象化され、物理的なコンピュータとの切り分けは進んで、現時点では、プログラムの実行が実際はどうなっているのか、誰にも分からなくなりました。

人工知能AIの第2世代に入って、アルゴリズム自体が抽象化され、自動で動くようになり、実際の動きが誰にも分からなくなったのです。 ソフトウエア技術の進歩がまだまだ続くと言うことを示した点が画期的だと思われます。 発展が第1世代だけでは無く、第2世代があったと言うことは第3世代が有ると言うことを暗示し、それはまた予想もしなかった発展をして、人間の精神構造に迫っていくことが可能であると言うことです。

あと1回か2回のこの様な技術ジャンプがあれば、機械が自我を持つかも知れません。 あるいは、自我を持つことがそんなにたやすくなく、もっと先になるのかも知れませんが、その可能性を示した点で画期的です。 本来はノーベル賞を与えても良いと思いますが、コンピュータ技術の基本は数学であり、ノーベル賞の対象になっていないです。 さらには自然科学者には、自然科学が最高の科学であり、数学やとくにコンピュータサイエンスは、単なる応用技術に過ぎないと言う意見も根本的にあると思います。


このスキージャンプの画像は、技術ジャンプとは何の関係もありません。


本欄は毎月の読み物を載せてきましたが、良い本がだんだんと少なくなり、実用本ばかりになってきたので、今月からは映画を紹介します。 以前にアメリカを往復していたときは、必ず映画を見ていたので、月に2本は必ず見て、現地にシアターがあるので、それも見るので、月に3-4本は必ず見ていましたが、それも少なくなったので、読み物にしていました。 自宅近くにシアターもあり、出来るだけ見に行くようにしています。 封切りものからTVで放映しているような古いものまで、取り混ぜて紹介していきます。

今月の映画は『ウォルター少年と、夏の休日』 原題 Secondhand Lions 2003年制作アメリカ映画 ティム・マッキャンリース監督

Secondhand Lions と言う原題が良くて、要するに「中古のライオンたち」とも訳すんでしょう。 自分に引き当てて引退後の、しかしライオンなんです。 しかも2人居るから複数形。 ウォルター少年は、1999年の シックス・センス The Sixth Sense のコール・シアー 役で脚光を浴びた ハーレイ・ジョエル・オスメント。 ロバート・デュヴァル マイケル・ケイン と言う両大御所との絡みが面白いです。

最初に見だしたときは、タイトルもタイトルだし、出だしは結構退屈だったのですが、どんどん引き込まれ、共感が一気に出てきて、最後まで一気に見れました。

【超映画批評より】
『シックスセンス』の天才子役ハーレイ・ジョエル・オスメントが、二人のベテランオスカー男優と競演した人間ドラマ。
舞台は1960年代のテキサス。主人公は、老人二人暮らしの親類宅に母の勝手な都合で一夏預けられることになった少年。父親がいない彼は、気難しい二人の老人の態度に最初は戸惑うが、屋根裏で見つけた古い写真についての思い出話を聞き出しながら、やがて心を通わせていく。
父親を知らない少年は、男らしい生き方と人生哲学を初めて彼らから学び、長いこと二人暮らしを続けてきたジジイたちは、その排他的な生活に少年という全く新しい風を入れることによって、忘れていた大切な価値観を取り戻す。3人の感動的な成長物語である。
この3人の演技合戦が本当にすばらしい。実力派ベテラン俳優であるジイ様二人は当然として、彼らに全くひけをとらないハーレイ・ジョエル・オスメントの実力も本物だ。
ストーリーは、美しい女性が写った一枚の古い写真を少年が見つけるところから動きはじめる。この女性は誰で、老人二人とどういう関係なのか。その壮大な昔話を老人が語るくだりは、ファンタジックな冒険物語として演出される。少年は、老人の話に胸躍らせながらも、最後にはどこまでが真実なのかを本人に確かめようとする。そして、その先に感動的な展開が待っている。老人が少年に“大切なこと”を伝えるスピーチのシーンは、男性ならば思わずうなづいてしまうであろう名場面だ。
このジイ様二人は、退屈なセールスマンにはショットガンをぶっ放して追い返すという不良老人ぶり。おまけに、町で横柄な態度をとるチーマー若者(?)を素手でのしてしまうほど腕っ節も強い。その上、連中を説教して更正させてしまうという、実に痛快でカッコいいジジイたちなのだ。
このように、大変アクの強い爺さん二人だが、少年も決して一方的に影響を受けるだけではないというのがミソ。二人に対して、変わるべき点を堂々と諭すような芯の強さがあるところがいい。3人は単なる擬似親子的関係だけではなく、あたかも男同士の友情のような絆をも育んでいくわけである。
ストーリーの途中から、老いぼれたライオンを少年が飼うという展開になるが、これは物語のテーマの象徴となる。見終わった後に、原題の「Secondhand Lions」の意味がわかるようになっている。
『ウォルター少年と、夏の休日』は、主に男性に見てほしい心温まる映画だ。昔ながらの映画の魅力があふれる作品で、年齢を問わずおすすめしたい。



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