今月のひとこと 2026年元旦号

今月のひとこと 2026年元旦号

新年明けましておめでとうございます。

昨年はいろいろと激動の年でしたが、今年はどうなるのでしょうか。

年末に、IBMの元CEO、ルイス・V・ガースナーが死去しました。私は彼と直接なにかをしたわけではありませんが、当時の話をいろいろ聞いていたので、よく覚えています。ガースナーという名前は、「巨大企業が一度傾き、そこから立て直す」というドラマの中心人物として、私の記憶に残っています。

当時のIBMは、今のGoogleやMicrosoft以上の超巨大企業でした。外から見れば、IBMに太刀打ちできるという感じはまったくありませんでした。ところが実際には、当時のIBMはかなり傾いていて、倒産寸前だった、という話があります。そこでガースナーが、(意外なことに)ナビスコからやってきて、あの巨大なIBMの立て直しに着手することになります。著書『巨象も踊る(Who Says Elephants Can’t Dance?)』もありますが、本当にあの巨体をハードメーカーからサービス会社に。よく変革させたものだと、当時の私は感心したものです。 ガースナーは会社にはほとんど居なくて、客先に入りびたりだったそうで、客先ニーズの重要性を改めて知らされます。

IBMとメインフレーム、そして「置き換え」の現場感

当時のIBMは完全なハードウェアメーカーで、メインフレームを作っていました。メインフレームと言っても、今から考えるとメインメモリが16MBとかいうレベルで、性能だけ見ればたいしたことはありません。しかし当時は、巨大なシステム装置で、大きな部屋を占有するのが当たり前でした。計算機というより「設備」であり、存在感そのものが権威になっている、そんな世界でした。

私は当時、ワークステーションという、今のパソコンに匹敵するようなものを開発していました。ワークステーションは、いまの感覚で言えば高性能PCですが、当時は「メインフレームの端末」ではなく、「分散して処理を担う主役」にしていこう、という発想がありました。つまり、巨大なメインフレームを、数多くのワークステーション(今で言うPC)に置き換える、というビジネスモデルを構築しようとしていたわけです。

その流れの中で、会社にあったメインフレームの部屋を、見学コースのひとつに取り入れたことがあります。既に空っぽでしたが、「このでかい部屋にメインフレームがあったのです。だけど今は、すべてデスクトップに置き換わっています」と説明しました。これは単なるデモではなく、技術の転換が現実に進んでいることを、目で見て分かる形にしたかったのです。

こういう“置き換え”は、後から歴史として語ると簡単に見えますが、現場では「本当に置き換えられるのか」「置き換えたあと誰が儲けるのか」という利害の話が絡み、簡単には進みません。

IBM PCとクローン市場、そして変革に抵抗する力

しかし当時、IBMはIBM PCも作っていました。IBM PCは、今のPCのCPU部分に相当するような、ネットも高精細ディスプレイも無い、超シンプルなハードウェアで、しかも回路図やパーツリストまで載せた本が本屋で売っていたのです。今の感覚で言えば、あり得ない話です。 ですが、これによりクローンメーカーが多数誕生し、市場は一気に大きくなっていきました。 結果として「PC互換機の世界」が広がり、IBMが想定した以上に“PCはコモディティ化”していくことになります。

ただし、そのときに問題になるのが収益です。あの小さなPCでは、メインフレームの収益とはまったく釣り合いません。売っている「単価」も「利益構造」も違いすぎるのです。だから、組織の内部では当然こういう声が出ます。

当時聞いた話ですが、IBMのトップセールスマンは「トップセールスになる唯一の方法は会社から、いくらIBM PCを売れと言われても、それは無視してメインフレームを売ることだ。」と言ったそうです。

これはまさしく、変革をするときに出てくる抵抗勢力の象徴だと思いました。悪意というより、「今までの評価制度・成功体験・報酬体系」に縛られると、人はどうしても旧来型の売り方に戻る、ということです。変革とは、技術だけでなく、評価の仕組み・売り方・文化まで変える必要がある、という話でもあります。

ボカラトン工場訪問の顛末と、現地を見る意味

ちょっとひょんなことから、IBMのボカラトン(Boca Raton)の工場に行くことになりました。このときはすでに、IBM PCを開発した責任者は飛行機事故で亡くなっていたのですが、私はどうしてもボカラトンを見ておきたいと思いました。そこで、マイアミまでわざわざ飛び、そこからレンタカーで走って前泊し、翌日工場へ行きました。

ところが、後になって分かったのですが、これは私の上司の策略でした。特に明確なアジェンダはなく、「とりあえず会う」ことが目的だったらしいのです。私は、相手側が私を呼んだと思って行ったのですが、いろいろ喋っているうちに、双方が同時に「お前は一体何をしに来たんだ」「君のアジェンダは何なんだ」と言い出してしまい、大笑い。

しかし、それでも私としては意味がありました。フロリダにはよく行っていましたが、ボカラトンは初めてでした。「これがIBM PCのメインの工場か、本社と離れたこんなところなので、新しいこと、変革が出来たのだ」という現場を見られたのは、非常に役に立ったと思っています。

インターネットの1996年と、AIの2025年

メインフレームから学ぶ、ITの歴史(1964年 System/360登場)

昨年の話題は、何と言ってもAIです。AIが急激に浸透し、一般に出てきたという状況は、私にはインターネットの1996年ぐらいに相当するのではないかと感じます。

1993年ごろ、私の周りの技術者が「WWW」だの「Mosaic」などの言葉を盛んに使い、今で言うSNSで会話しているのを見ていました。しかし私は意味がほとんど分からず、「技術者が何か面白いことをしているな」くらいの感覚でした。ところが、ひょいとその技術者のワークステーションの画面を見たら、諧調モノクロではあるものの、非常に綺麗な図形が描かれ、細かく文字が出ていました。これにはびっくりしました。これが私にとって、本格的にインターネットと向き合った最初です。 Mosaicを最初に開発した欧州原子核研究機構 (CERN) のジュニア フェローであるティム バーナーズ リーは一躍有名になり、神格化しました。

その当時、私がワークステーション(今で言うPC)を開発していましたから、本来なら日常的に見ていたはずなのに、私は気がついていませんでした。「せいぜい技術者の間で使われるツールだろう」と思っていたのです。 しかしそれから3年後の1996年になって、完全文系の父親が「インターネット」という言葉を口にしたときには驚愕しました。技術者の遊びではなく、社会に出たのだ、と実感した瞬間でした。

その時代には例のWindows 95が出てきました。Windows 95がインターネットの起爆剤になったと言われていますが、実態としてはMS-DOSの上にデスクトップGUIを被せただけの代物で、今から考えると正直おもちゃみたいなものでした。通信に関しても、当時はパソコン通信前提の空気が強く、インターネットのプロトコルスタックが最初から完備されていたわけではなかったと思います。これを載せるために、あちこちからモジュールを集めてきて組み込む必要があり、それが結構大変だった記憶があります。 その後のWindows NTやWindows XPで、ようやく今のWindows 11につながる「まともなOS」になっていったということです。

こういう意味で言えば、ビル・ゲイツはソフトウェアのビジネスモデルを確立したという点で非常に偉大な功績があると思いますが、時代を見る目はかなり遅れていたのではないかとも思います。 いつも遅れてついて行って、最後にメジャーを取る戦略でじは無くて、インターネットに関しては、明らかに出遅れました。

生成AIの体感、付き合い方

私がChatGPTで何をやっているかというと、バイブコーディングです。最初はExcelのフォーミュラ(関数)を作ってもらったのが始まりでした。自分で考えて作ればできるのですが、非常に面倒です。ちょっとChatGPTにプロンプトを投げると瞬時に生成してくれて、それが一発で動いたのは非常に印象的でした。 その後、長いマクロも作られましたが、これもだいたい一発で動きました。「すごいなあ」という感じです。

ただ、その後に少し難しいツールを作らせたときは、あまりうまくいきませんでした。開発の後半になると、だんだん“ゴミがたまっていく”のか、遅くなったり、馬鹿になったりしてバグが急増しスタックしてしまうことが多かったです。

1989 年、欧州原子核研究機構 (CERN) のジュニア フェローであるティム バーナーズ リーは、CERN での情報収集を簡素化するためのアイデアを思いつきました。彼のアイデアは、すべてのドキュメントを 1 つの Web サービスに保存し、それらをハイパーリンクでリンクするというものでした。

最近のChatGPT(たとえば5.2)ではかなり賢くなりましたが、バイブコーディングにはコツがあります。 一番最初に、短いモジュールを一気に作って、それを積み上げることです。最初にできたコードは割と質が良いので動きます。そこから修正を重ねると、だんだん混乱してぐちゃぐちゃになっていくことがあり、最悪スタックして先に進まない、ということになります。 ので短いモジュールを繋ぎ合わせて作るのか良いとは思いますが、それぞれのモジュールのバージョン管理が面倒になります。

それから、使っているとだんだん遅くなって、最後は止まってしまったり、変なバグが出たり、ハルシネーションが出たりすることがあります。その時はチャットを切り替える必要がある、というのが経験則です。

最初はプロジェクトそのものを切り替えましたが、これをやると全部ゼロリセットになります。まだ教え直さないといけないので、引き継ぎ資料を作ってもらって、そこから引き継ぐことになりますが、これも結構面倒です。したがって、同じプロジェクトの中でチャットを切り替えると、だいたい覚えているので、そのまま継続しやすい、ということになります。

もうひとつ気をつけないといけないのは、プライバシーです。どうも「質問の断片から全生活を推測されている」感じがして、正直落ち着きません。同じアカウントの中で、私が質問したことをだいたい覚えていて、「この間言ってたあの件は」みたいに出てくることがあります。これは便利でもありますが、気持ちが良いものではありません。おそらく入力したデータは学習にも使われている可能性があるので、ここは慎重に質問を入力する必要があると思っています。

また、ライブコーディングではコード量の限界もあります。以前、(別のAIにも)いろいろ聞いてみたのですが、どうも1000行くらいが限度で、それ以上は難しいようです。だから、最初のころ不思議だったのですが、差分だけ送ってくることがよくあります。

これは、こちらの作業としては差分を当て込むのが面倒です。ツールもあるようですが、ツールを使うのも面倒で、手でやるとよく間違えます。面倒になって「全部コードを出してくれ」と言うと、1000行くらいなら出てくるのですが、これはAI側の負担も大きいらしく、放っておくとすぐ差分対応に戻ります。

さらに重要なのは、AIは別に全コードを眺めてグローバルな視点で修正しているわけではない、ということです。何か問題があると、その周辺だけを修正して送ってきます。機能追加でも追加部分だけを送ってきます。これがバグの温床になりやすい。だから時々、こちらが持っているモジュールを全部アップして「これでOKか」と逆に聞かないといけません。
こちらは「AIが全コードを覚えている」と思いがちですが、実際は持っていないことが多いです。ややこしいことを言うと「私は思っていません」と白状することもあります。つまり、かなり手探りでコードを書いている、という前提で付き合う必要があります。

大きな変更をかけるとAIも混乱して、時々大きな関数がすっぽり抜けたりもします。さらに、目が見えないのでGUIが不得意です。コード上だけの操作になるので、こちらからGUIの修正を言葉で指定しないといけないのですが、これが結構大変です。文章化するのが難しく、なかなか意思が伝わらないことがよくあります。

したがって、AIはすぐCLIを推奨します。CLI(コマンドラインインタープリター)なら一行で入力でき、簡単なツールならCLIで十分です。入力も簡単ですし、コード生成も楽になります。

私はCLIは大昔に廃れたと思っていて、今はGUI全盛だと思っていましたが、どうもソフト開発の世界ではCLIが健在で、一流の技術者が普通に使っています。キーボード入力が速ければ、CLIの方が早い、ということです。

GUIが流行りだした1900年代後半ごろ、UnixにデスクトップGUIをかぶせることが流行しましたが、周辺の技術者に聞くと非常に否定的で、「コマンドの方がいい」と言っていました。当時は不思議でしたが、今やっと分かりました。今やっと理解した、というところです。

今年のAIとローカルLLM

昨年のAIに関しては、まずOpenAIが先行しました。特に年後半は矢継ぎ早にバージョンアップがあり、使っていても性能アップが体感できるような更新でした。そして年末の最後になって、Googleが「Gemini 3」を出し、これがほぼOpenAIと並んでしまった。なので、Googleのシェアが上がっているという流れに見えます。

Googleは、Officeに相当するツール群やデータベース機能を持っています。これらとの連携は非常に大きいです。おまけに、個人別に使えるNotebookLMのような仕組みもあり、この辺が底力を発揮しているのではないかと思います。私もOpenAIを使っていますが、そろそろGoogleに切り替えても良いかな、という気持ちもあります。

さて、今年もAIの時代になるでしょうが、どんな変化をしているのでしょうか。ひとつはローカルLLMだと思います。人型ロボットはまだまだ先の話だと思いますが、ローカルLLMが自分のパソコンで動くようになる、という意味は大きいです。
これはやはりセキュリティの問題です。いくらベンダーが「学習に使わない」と言っても、使われているかもしれません。少なくともサーバーにアップされます。あまり人に知られたくない日記みたいなものを解析する場合は、やはりローカルでやりたい。最近はノートPCでもローカルLLMが動くようになっているようです。今年はこれに挑戦したいと思っております。

AIバブル、電力、AGI、そして人型ロボットの現実味

急成長している生成AIモデルを基にタスクの認識・管理、及び自律的に行動を実行するとともに、シミュレーション環境で現実世界の不確実性に対応する方法を学習する。また、AIによる最適化されたモデルとプロセスがロボットに導入され、ヒューマンセンターの環境でより効率的に運用できる。また、強化学習(RL)アルゴリズムの活用で自ら学習し、より自然な動作を自律的に選択・実行する能力を持っている。

昨年のAIは、二桁兆円の投資の話がどんどん出て、「AIバブル」とも言われました。本当にこれで収益が取れるのだろうか、という疑問はあちこちに出てきています。確かに従来の検索以上に有料ユーザーは増えるのだと思いますが、それで本当にビジネスモデルが成り立つのかどうかは、まだよく分かりません。
また、揺り返しが来るのではないか、とも思っています。過熱したものは、いずれ冷える局面があるからです。

それと電力消費が半端ではありません。これもある程度は技術で解決していくのだと思いますが、「次のデータセンターのために発電所が必要だ」という話まで出てくると、さすがに何が何でも行き過ぎかもしれません。そういう施設がいくつもできる、というのは社会的にも課題になり得ます。

AGIやASIと言われるような超人工知能が生まれる、という見方も、最近は「どうもそうでもない」という方向が強くなってきました。今のAIの成功は、規模の拡大が性能の拡大に直結する、と分かったことが大きく、だからこそものすごい量の投資が集まりました。
しかし、「これを百倍、二桁上げても、そんなに伸びないのではないか」とも言われています。今の延長線上で超知能が現れる、という話は、ここ数年で勢いが落ちたのではないか、という感覚です。

人型ロボットに関しても、かなりいいところまで行っているのですが、実際に使えるようになるには、まだ何ステップか足りないのではないかと思います。人間の手先は非常に器用にできています。猿レベルの器用さなら獲得できるのでしょうが、そこから人間レベルに到達するのはなかなか難しい。これは頭脳の働き、つまり指先にも知能が必要で、猿と人間を分ける大きく違うところです。 人型ロボットは猿レベルでとどまっています。

バッテリー問題は、交換式にする、あるいはロボット自ら充電する、ということで多少は解決すると思いますが、現状だと2時間ぐらいしか動けないことも多く、制約は残るでしょう。

それでも、車1台分ぐらいの価格でロボットが手に入る時代は、ここ何年かのうちに発生するのではないかと思います。まずは単機能のロボットから、という形になるでしょうが、それでも社会の景色は確実に変わるはずです。

今月の読み物は、『国宝(上)青春篇』『国宝(下) 花道篇』 朝日文庫 2021/9/7 吉田 修一 著

映画で大変なことになりましたが、よくご存じのとおり原作の小説があります。映画ではかなり端折られているようですので、私は映画を見に行っていないので断言はできませんが、登場人物のひとりが完全に登場しないようになっている、らしいです。 そうなると映画と原作では、雰囲気がだいぶ違うのではないかと思います。 ですので、できれば原作の小説も一度読まれたら面白いのではないかと思っております。

ただし上下巻ですので結構時間がかかります。幸い文庫本もありますので手は出しやすいのですが、やはり長いです。私はAudibleで耳から聞きました。

たしかに映画化するには最適の筋書き、最適の構成だと思いました。小説でものっけからヤクザの乱闘騒ぎからスタートしますので、これはかなり映画を意識した構成なのだと思いました。 いずれにしても、書籍は筋立てを読む、映画は映像美を見る、というふうに分けて鑑賞すれば、別物として楽しめば良いのではないかと思います。

【Amazon書評より】
1964年元旦、長崎は老舗料亭「花丸」――侠客たちの怒号と悲鳴が飛び交うなかで、この国の宝となる役者は生まれた。男の名は、立花喜久雄。任侠の一門に生まれながらも、この世ならざる美貌は人々を巻き込み、喜久雄の人生を思わぬ域にまで連れ出していく。舞台は長崎から大阪、そしてオリンピック後の東京へ。日本の成長と歩を合わせるように、技をみがき、道を究めようともがく男たち。血族との深い絆と軋み、スキャンダルと栄光、幾重もの信頼と裏切り。舞台、映画、テレビと芸能界の転換期を駆け抜け、数多の歓喜と絶望を享受しながら、その頂点に登りつめた先に、何が見えるのか? 朝日新聞連載時から大きな反響を呼んだ、著者渾身の大作。

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