本家の http://www.masuda.org/ もよろしく 本ページは最小フォントで最適化をしています。マイクロソフトのIEをお使いの方は、「表示」メニューでフォントのサイズを「最小」にしてご覧ください。 絵や写真をクリックすると、そのページに行けます 4月6日 政治も経済もパッとせず、どんどん悪化の一途で、しかも今すぐどちらも何とかなるものではないし、待つしかありませんね。 円高でも一時のように大騒ぎするわけでなく、大丈夫と言うよりは、日本の活気が無くなって来ている気がして寂しい限りです。 先日ひょんなことから、中国の上海の近郊に行ってきましたが、そこらじゅうが工場で、道も広い。 ただ空が黄砂のせいもあってどんよりとして、スカッとした晴れ間が無かったです。 しかし元気のあるのがすぐに分かります。 仕事も3年先まで詰まっているとか、高度成長期の日本と同じです。 妙な労働時間が最近多いのですが、徹夜しろとは言いませんが、あまりにも規制が強すぎ、反面、企業の管理が疎かになっている感じがします。 だれでも管理職なんて、20年前に冗談で言っていましたが、今は本当に実行する会社があるんですね。 それなりの報酬を出せば良い筈ですが、単に残業代カットでは衰退するばかりです。 気が落ち込んだせいではありませんが、融通念仏宗を調べてみました。 仏教系では十三宗あって、その一つですが、おそらく最もマイナーな宗派です。 ちなみに日本十三宗とは、華厳宗、天台宗、法相宗、律宗、臨済宗、曹洞宗、黄檗宗、日蓮宗、融通念仏宗、時宗、浄土宗、浄土真宗、真言宗。 メジャーは浄土真宗、信者外では門徒と言います。 歴史的には、まず空海の真言宗が中国から輸入。 その後、初の国産仏教として融通念仏が出来ました。 この間に華厳宗があるようです。 その後、浄土宗、浄土真宗と発展してきました。 今日のメジャーの浄土真宗は、儀式や教義も洗練されていてとてもまとまっています。 従ってメジャーになったのしょう。 国産初の仏教である融通念仏は、宗祖 聖應大師 良忍(1072-1132)が開いたものとされていますが、本来はお経の一種である声明がうまかったので、それで広まったということです。 教義も念仏を何回唱えるかと言うだけで、当時のインテリ向けの非常にややこしい、しかしものすごく理論的な真言宗に付いて行けない一般民衆に受けたのだと思います。 融通念仏は一時廃れて、江戸時代の元禄期(1700年頃)に復興したもので、現在の教義や儀式様式は、江戸時代に整備されたものと思います。 信者も大阪の河内や奈良に限定されています。 本山も大阪市平野区にあって、大阪府でも最大級の木造建築になっています。 5月の連休には、本山で「万部おねり」と言うものが行われます。 「万部おねり」とは、無量寿経の中の「その人、寿(いのち)が終わる時にあたって、私は極楽浄土から二十五菩薩を従えて、その人を迎えに来るであろう」という阿弥陀仏の願いを具体的に表現したと言うことで、お面をつけた菩薩がぞろそろと出てきます。 非常に素朴な感じの儀式です。 一度ご参拝あれ。 他の宗派には無いほかの行事としては、御回在と言うものがあります。 元々融通念仏は、勧進行脚が主で、仏教宗派としての組織を持たず集団運動の中から発展したものであったためか、毎年この地域では6月に本尊の軸をもって各檀家の家を回ります。 この時に面白いのは、最初に寄進したお金の多さで特等とか一等とか決まっていて、軸を半分だけ開くとか全部開くとか、差があるのが如何にも民衆仏教らしくて面白いと思います。 融通念仏は、国産初ですから最初の修行は、当時の真言宗の天台宗のある比叡山でスタートして、開祖の良忍上人は、やがて京都大原に隠棲(いんせい)し、来迎(らいごう)院をたてて住んだので、京都とのつながりは沢山あります。 本山の大念仏寺は大阪平野にありますが、京都の清凉寺や壬生寺などで融通念仏が盛んになり、壬生寺や清凉寺、千本閻魔堂、神泉苑には融通念仏の中興者である円覚上人による大念仏狂言が伝えられています。 最後に、仏教では常に行う焼香の時のお経についてです。 最近は、般若経を早口で3分ぐらいで終わってしまう簡便読経も多いですが、まともな読経のはじめにも使われます。 知っておくと役に立ちます。 焼香の偈 と言います。 戒香定香解脱香(かいこうじょうこうげだっこう) 光明雲台遍法界(こうみょううんたいへんほっかい) 供養十方無量仏(くようじっぽうむりょうぶつ) 見聞普薫証寂滅(けんもんふくんしょうじゃくめつ) 今月の読み物は、紫電改入門―最強戦闘機徹底研究 (光人社NF文庫) 碇義朗著です。 累計で1万機以上作られた超有名なゼロ戦に比べて、同じ海軍の艦載機である紫電改は戦争末期の約半年間に約500機しかつくられていません。 バチバチに完成度が高かったゼロ戦に比べて、水上戦闘機であった強風から紫電、紫電改へと改造に改造を重ねた、あんまり見かけもスマートでない戦闘機です。 しかし、その性能は抜群で、ガソリンの質が良いアメリカでの試験では、アメリカ機を凌ぐ性能を発揮したそうです。 以前から紫電改と言う名前の響きで興味を持っていましたが、今回やっと本格的に読んでみました。 もの作りに携わるものとしては、完成度の高いしかしギリギリ設計のゼロ戦とするか、未完成だが余裕のある紫電改にするのか、いつも悩ましいところではあります。 著者の碇義朗さんは、車の記事を良く見たのですが。このような戦闘機にも詳しかったのです。 メカニズムと人間のかかわり合いと言うテーマは私も興味のあるところですので、これからも何冊か読んでみたいと思います。 BOOKデータベースより。日本海軍の期待と悲願を担って登場した最後の傑作機「紫電改」―その卓越した性能とフォルムはいかにして誕生したか。水上戦闘機「強風」から「紫電」へ、そして「紫電改」にいたる改変へのプロセスと、個々に優れた機能を図版と写真で詳解し大戦期の日本航空技術陣の成果を綴る。名機を駆使した三四三空の戦いを併載。 |