「今月のひとこと」の目次 毎月一回はその時々のトピックスをお送りしています。
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4月3日
4月になったとたんに、景気の先行き不安情報が流れて株価も軟調。 年度末を避けていたようですね。 少し古くなりますが、ライブドアの判決はなかなか興味がある結果になりました。 確かに法律論から言うと、何であの罪であの判決? と言いたくなるのですが、影響を考えるともっともだと言う感じもあります。 親を殺して、その状況に酌量の余地が有ると言う事で、軽い罪になる場合もありますので、今回はその逆だったのではないでしょうか。 だから裁判官はわざわざ諭すようなコメントを付けたのでしょう。
実刑はみんな予想していなかったので、ショックは大きかったでしょう。 反面、みんなが大きな損失を受けたと言うのは少々おかしくて、検察が一気に逮捕に踏み切ったので、株価が急落して、さまざまな影響が出てきたので、損失を受けたと言う点では、検察にも責任はあると思います。 もっと影響の少ないやり方はあったと思います。 いずれにしても今回は異例ずくめでした。
各々の取引は問題ないのですが、全体としてはおかしい。 どこがおかしいと言われても難しいのですが、何かおかしい。 ライブドアの子会社の投資会社は、投資の儲けを、問題なくその会社の利益と出来ます。 その子会社と連結決算をするライブドアはその利益を計上して良いのです。 この投資利益がライブドアの株式であった点が問題なんでしょうが、どこで切るか。 ポイントは、堀江被告自身が、高値で株を買っているんです。 しかしこの原資は、ライブドアの株式を担保に借りたもの。 結果的には儲かったと言う事でしょうが、その当時は本当に儲かるかどうか分からなかった、と言うのが本当ではないでしょうか。 この辺の詳しいところは、前回に紹介した、マネーロンダリングに詳しく解説されていますので、興味のある方は読んでみてください。
「聞いちゃったんだよね」の村上さんもこれだけでインサイダーと言うのはなかなか難しいのではないでしょうか。 その当時はライブドアなんて本当に買収が出来るとは誰も、堀江氏自身も思っていなかったのではないでしょうか。 まあIT業界にはあの手の人がいっぱい居て、決して個人的には好きには全くなりませんが、日興コーディアルに対する対応から見て、何か釈然としないものを感じます。 どっちにしても、あの段階でライブドアの株に退職金を全部かけるのは止めましょう。 ゼロになってもまあいーか、のノリでないと駄目でしょう。
従って、罪の深いのは、堀江氏を持ち上げて一番の責任が有ると思う当時の金融のトップ竹中平蔵氏、政府関係者、経団連に入れようとした奥田 碩氏などなど。 この辺が余計だったと思います。 これさえなければあんなに大きな騒ぎにならずに、業界の中で終わった話ではないでしょうか。
最近、遅ればせながら新撰組にハマっています。 大分前にいろいろ本を読んだ事があるのですが、自分の近くにこんなにいろんなものがあると言うのは、ごく最近気が付きました。 切っ掛けは輪違屋。 以前から近くに東京の吉原に並ぶ島原があると言うのは知っていましたが、その辺を歩いてもそれらしいものがあるわけでなく、何かあるんだろう程度でした。 JRの嵯峨野線、昔の山陰線の東側に大きな屋根が見えていたので、これがそうかと思っていましたが、これは角屋、重文です。
先日冬の閉館が終わったので、行ってみましたが、ここがなかなかすばらしい。 当時の揚屋、今で言う料亭ですが、庭も立派で、各々の座敷もそれぞれにテーマがあって、もちろん政府の設備である御所やお寺の比ではないですが、一般の建物としてはすごいものです。 入館料1,000円、2階は特別拝観で、800円、ツアーがあります。 まあここで新撰組が宴会を開いていたのです。 芹沢鴨が暗殺される直前に宴会を開いていたのも、ここの座敷の松の間だそうです。
島原のメインストリートを東に行くと大門があり、その手前の北側に輪違屋があります。 芹沢鴨が八木邸で暗殺されたときに、隣の部屋にいたのが輪違屋の糸里だと言うのが記録に残っていて、これで有名になったみたいです。 近藤勇の書が残っていたりしますが、内部は所詮置屋なので、せいぜい傘のデザインのふすまがあるくらいです。 ここは京都市の史跡になっていますが、現役の御茶屋です。 6時ごろから店の前で太夫道中が始まりますので、その時刻に待っていたら、道中を見る事が出来るでしょう。 もっとも毎晩宴会があるわけではないようです。
島原の遊女の最高位は太夫と言って、いかにも京都らしくて客を選ぶそうで、現在は 4人ぐらいしか居ないようです。 どうも一度途絶えて、例の新撰組ブームで復活したようです。 お座敷は2時間。 今回は如月太夫で、杯を見せる、かしの式、お茶、胡弓、踊りで約20分、その後は宴会となります。 幼い女の子が禿として通常は2人付きます。 まあ一種の伝統芸能になっているのではないでしょうか。 わざわざ輪違屋まで来なくても、京都めぐりのツアーで一条戻り橋にある西陣会館でも見れるようです。 しかし、古い輪違屋で、百目ろうそくの光の中で見るのはそれなりに風情があって、いかにも京都という感じです。
この島原から北に1kmほど行くと、壬生寺があり、その隣に新撰組が滞在した八木邸があります。 結構小さい建物で、半分は実際に住んで居られると言う事でした。 説明を聞いていると、座っている座敷が芹沢鴨が寝ていたところで、ここで襲われて、隣の部屋に逃げ込んだところで止めを刺されたと言う事です。 鴨居には刀傷が残っています。
当時は、島原と壬生村がぽつんとあって、その北に二条城があったと言うような京都から見ると田舎のような場所にあったのです。 秀吉が築いた御土居と言う城壁の後、もしくは上にJRの嵯峨野線が作られたと言う事で、島原や壬生はその塀のすぐ内側に合った事になります。 花町の上七軒は島原のまっすぐ北、祇園は鴨川の東と、それぞれ端っこに置かれていたんですね。 ちなみに祇園は御土居の外になります。 何とか口、例えば島原の傍の丹波口は、御土居の丹波に向けた城門だったのです。
ちなみに平安京が作られたときの、正面通りつまり朱雀通りは、今の千本通で、JR嵯峨野線にほぼ並びます。 JR丹波口駅の中には朱雀大路の石碑があります。 京都は西の方が湿地帯だったので、 段々東に移動しているみたいです。 昔は鴨川の川原だった、河原町が中心になってきています。
今月の読み物は、中身はあんまりお勧めではないのですが、話題に従って、輪違屋糸里 上下(文庫) 浅田 次郎著 各¥580税込。 最近文庫本になったそうです。 最近文庫本になったそうです。 これと対をなす壬生義士伝。 壬生義士伝の映画の中井喜一はイマイチなので、読まなかったのですが、糸里を読んで読む気になりました。 けどやはり浅田次郎は合わないようです。 古いところで子母沢寛の新撰組始末記が、面白いかも。 小説と言うより記録ですが。