本ページは最小フォントで最適化をしています。マイクロソフトIEをお使いの方は、「表示」メニューでフォントのサイズを「最小」にしてご覧ください。 絵や写真をクリックすると、そのページに行けます 2009年9月8日 今月はオオボケをかましてしまいました。 夏の暑さと選挙騒ぎで更新を失念しておりました。 株価は冴えませんが、世の中は政権交代一色です。 右から左に大きく揺れて、国民の選挙なんていい加減なものでムードに左右されてしまうんだ、と言う論調がありますが、これには大いに異論があります。 また国民を馬鹿にするからこう言うことになるんだと言う事がまだ分かっていない政治家や評論家が多すぎますよね。 確かに小選挙区制の中では少しの票の動きが大きな議席の差になって現れてきますが、これが本来の小選挙区制の目的であったはずです。 最近の、IT関連の話題で大きなのは円周率であるπ計算桁数の世界記録樹立です。 世界的に日本のスパコンの性能順位が下がってきている中で、従来比で2倍以上の記録が出ました。 計算したのは筑波大学計算科学研究センターで、同大のスーパーコンピュータ「TK2筑波システム」を用いて円周率を小数点以下2兆5769億8037万桁を計算し、世界記録としてギネスブックに申請したそうです。 アルゴリズムには、ガウス・ルジャンドルアルゴリズムとボールウェインの4次の収束アルゴリズムを採用。主記録容量は13.5TBとなったとのこと。 従来の記録は、東京大と日立製作所が2002年に達成した1兆2411億桁で計算に約600時間かかった。 プログラムはシングルジョブ実行環境で実行し、648台の計算ノード(1ノード当たりの浮動小数点演算理論最大実行性能は1472GFLOPS。全体では95.4TFLOPS)のうち、640台を使用する並列計算として処理が行われ、約73時間36分で計算できたとのことで、意外に速く計算できるものです。 問題は、正しく計算できるかどうかで、2つ異なるアルゴリズムによる計算で一致した桁まで公表したとのことで、実際はもっと多くの桁が計算されているみたいです。 円周率の世界記録は良いとして、同じところをぐるぐる回っているのではないかと思われる政治の世界に戻ると、小泉内閣からの流れは少しも変わっていないと思います。 国民はチェンジを望んでいるのです。 前回の総選挙を郵政選挙と言いますが、郵政民営化の政策に賛成した人はほとんど少数で大多数は自民党をぶっ壊すというフレーズに乗ったのではないですか。 そう言う意味では、4年以上前に一度、仮想的な政権交代が起きていたんです。 しかしその後がまた元に戻ろうとしたので、それを引き戻したということでしょう。 大きく揺れたといいますが、基本的な流れは変わっていないと思います。 国家戦略局構想も、基本的な考え方は小泉内閣の経済諮問会議と同じです。 この諮問会議は経済中心でしたが、戦略局は外交とかも含んだより包括的なものとなると思います。 よく権力の2重構造といいますが、従来の仕組みは内閣と党が2重権力になっていて、その間の摩擦を官僚がうまく取り仕切って、それが定着したところに問題があると思います。 従って権力の2重構造は新しいものではないでしょう。 問題は、この戦略局に少なくとも政策の決定権が一元化できるかどうかです。 戦略局=内閣は良いとして下手すると、民主党、連立協議機関と3鼎立して身動きが付かなくなってしまいます。 連立協議が進まないのは、社民党の問題ではなくて、政策決定がバラバラになることの方が問題です。 戦略局は、竹中さんみたいに菅さんがガンガンやれるかと言う点に尽きるのではないでしょうか。 後は小沢さん、今回の選挙で意外に職人だと思いました。 職人といって良くなければ参謀。 あれだけの選挙ときちんとまとめて、自民党の弱いところをキチンと突いている。 確かに敵にすると物凄く嫌な人です。 自分は総理にならない、と従来言っていましたが、これが本音と言うことが良く分かりました。 これからは、小沢チルドレンを含めた政治勢力をどうコントロールしていくのか、ここで最後の真価が問われるところです。 民主党は、内政はいろいろ問題があるものの、まあ良いとして、外交がまったく駄目ですね。 岡田外相は本当にうまく嵌めたと思いますが、あまりにうまく行っているので本人も周りも表立って文句は言えないでしょう。 どう言う選挙協力の約束をしたのか分かりませんが、社民党が居る限り、大胆な政策は取れないでしょう。 幸か不幸かアメリカでは日本への関心が高まっていますので、ここでキチンとした外交政策を出す良いタイミングだと思います。 感覚では、韓国のノムヒョン大統領と同一視されているような感じがします。 今月の読み物は、新撰組顛末記 (新人物文庫) 永倉新八著 ¥700。 新撰組の幹部で、切り合いを実際にやっていた本人の言葉(聞き取りらしい)が衝撃です。 本人が行っていない場面はごっそり抜けていたりしますが、刀を持つ写真など、そんなに遠くない時代にこう言う事が起きていたんだと身近になります。 新選組の副長助勤となり、のちに二番組長を兼任した新八は、近藤勇らとともに池田屋へ斬り込んだ。新選組随一の遣い手として幾多の戦闘に加わり、十三人の大幹部のうち、ただ一人生き残った。北海道に渡り小樽に住んだ新八は、孫たちを相手に新選組の懐旧談を語り、記録に綴る晩年を送るが、大正二年(一九一三)三月から、『小樽新聞』記者の取材に応じて語った連載をまとめたのが本書である。近藤勇や土方歳三らとの交友、池田屋の乱闘、血の粛清など、幕末動乱の修羅場をくぐりぬけた者のみが知る生々しい証言が語られている。「BOOK」データベースより。 |