今月のひとこと 1997年1月から6月号

6月22日

先日、今年のキーワードである「PUSH」に絡んだコンファレンスに行ってきました。 たまたまネットサーフィンをしていて見つけたものですが、典型的な小型のコンファレンスでした。 展示も4-5社ホテルの廊下でやっていると言うマイナーも絵に描いたようなものでしたが、こう言うのに限ってなかなか面白いものです。 おまけに昔の知り合いとバッタリ。 やはり来る人は来るんですね。 MSもネットスケープもいなくてチョットさびしい限りですがその分のびのびと自由な議論が多かったように思います。 そこそこ有名と言ってもまだ実際は小さなベンチャーなのでしょうが、VP自ら昼食のテーブルを回って売り込みに懸命でした。 こういうところは小さな集まりでないといけませんね。

あと、肝心の本題は忘れましたが、なかなか本質を突いているか、もしくは完全な笑い話ですが、こんなのがありました。 曰く、宅急便の封筒のバンド幅は45MのT3に勝る! 1時間のDVなら10Gb。 3時間のテープを10本送ると約300Gb。まあどれくらいの時間をかけて送るかが問題でしょうが、確かに情報を送るのは何も高価な通信回線だけではないんだぞ、と言うことで何となく納得したような、だまされたような。

この前後に久しぶりにモントレーに行ってきました。 サンフランシスコの南にあるあのモントレーです。 別に言い訳ではありませんが、会議があんなところであったものですから、いやいや(?)行ってきました。 適当に出たのは良いのですが4時ごろだったので101は大混雑。 特に85が南のほうまで伸びたせいで、これと101の合流点で混むようです。 特に85の方が混んでいましたね。 北の方の101から入る方も先日夕方に通りかかって280の方へ行こうとして85に入りかけて、あまりの混雑にアキラメて101の混雑を選びました。 モンタレーは行きはこのように混みはしましたが心配した分岐点をキチンと曲がってまあまあの時間で着きました。 次の日の帰りは日曜日でこれもルンルンで途中でチェリー何ぞを買いながら、ゆったりと戻りました。 ところで最近ローレンスとホームステットの角で売っているチェリーはものすごく高くなりましたね。 おまけに中は低級品とのミックス。 以前は農場の中まで入って、取りたてを売っていたのですが。 ギルロイあたりのものはサスガに大きくて赤くて甘くて安くてなかなかのものでした。

ジャズフェスティバルも有名ですね。 何度も行きたいと思っているのですが、行くチャンスが無いので今度こそと思っています。 ちなみに今年は9月の19,20、21だそうです。 以前にたまたまニューオールリーンズのジャズフェスティバルにぶつかって大感激。 もっともあそこは大きいので年に2-3回は何かあるようですが。。

ここまでは良かったのですが、まだ以前のように物忘れをするようで、その日の夜、さあ寝ようとベッドに入ってしばらくするとジャケットが無いのにハタと気がつきました。 使いもしないのに持っていって、おまけにめったにしないハンガーにかけると言うことをしたためにチェックアウトの時に忘れてしまったようです。 慌てて電話するとサスガにキチンとしたホテルだけあって保管していますとの事。 時はすでに10時を過ぎています。 誰かに届けてもらうとか、宅急便で送るとかいろいろ考えたのですが、日本へ戻る日程との関連でどうしても今日のうちには入手しなければならなくなりました。 急遽、着替えてもうやけくそでぶっ飛ばして行きました。 こんな時間でもパトカーはチャンと居て、これで捕まったり事故を起こしたらまったく割に合わんなと思いながら12時前には元のホテルに戻れました。 なになに、片道1時間チョット。。 しかしここからモンタレーまで100マイルとは言わないが80はあるのでは?? 通常の計算は合わんで??


5月25日

昨年の今ごろはイントラネットと言う言葉が飛び交っていましたが、今年はどうなるのだろう? と見ておりました。 年の始めには「モーバイル」という言葉がどうも今年のキーワードになりそうだ、と言う感じでしたがどうも雲行きがおかしいようです。 恐らくPHSのデジタル通信が4月から始まるのを見越した事が先行していたのでしょう。 しかし、いかんせん日本だけの出来事で世界的な広まりには至らなかったようです。

ところでPHSのデジタル通信はいかがですか? 当方もさっそく試してみました。 システムの方もなかなか良く出来ていて、特にPIAFSに対応していなくても特定のノードを経由してつながるようです。ATコマンドのDPとDTをうまく使い分けて実現しています。 最初は何の事か分からず、一瞬と惑いましたが。。 まあ下手に考えずにそのまま使えば当然のごとく使えます。 接続にちょっと時間はかかるようです。 速度もまあまあ。 まだ空いているからかもしれませんが。

今年のキーワードの話題に戻しますと、今年はどうやら「PUSH」になりそうです。 やはり人間はそんなに勤勉ではないので(自分がそうなのでみんながそうだと言いたい)、画面はボーッと見ていたいのでしょう。 インターネットと言ってもインターネット電話でも、WebTVでも、結局は従来のものに限りなく近づいて行くと言う、まことに矛盾した状況になっています。 まあ物事は2歩前進1歩後退で少しずつ前へ進むのでしょうから、今がそういう時期なのかも知れません。 一方では、物事は落ち着くところへ落ち着くものだ、と言う見方も有り、この伝で言うと過去に営々として試行錯誤を重ねて、現在の大きな意味の情報インフラに落ち着いたわけで、基本的にはこの枠組みの中でしか、物事は進まないのかも知れません。 もしそうであれば、真に新しい枠組みが出来るのには21世紀の中ごろまでかかるでしょう(生きてはおれんな)。

話は飛びますが(どんどん飛べるのが自分のHPの良いところですね)、実は先月はオーストラリアに遊びに行っていました。 赤道を超えるのは実は初めてで、久しぶりにわくわくした気分が味わえました。現地では、例のごとくレンタカーを借りてウロウロしていましたが、まず最初に引っかかったのはビザ。 ビザがいるなんてほとんど考えませんでしたので、出発間際にガイドブックをなんとなく見ていてハタと気がつきました。 慌てて大使館へもらいに行って、シャッターが閉まる寸前に滑り込んでセーフでした。 もらったものはカード一枚。 入国の時には見もしませんでした。 本当に必要なのかしら?

それから現地で、ものすごく勘が狂ったのは、あたり前ですが太陽が北から照っている事。 当然すぎるぐらい当然な事なのですが、頭で分かっていて体で分かっていないとはこのこと。 とんでもなく道を間違えるのです。 最初は分からなかったのですが、やっと途中から分かり始めまして、イチイチ声に出して北とか南とかやっておりました。 それと、オーストラリアは土地は広いが町は狭い。 中国でも同じような話を聞いた事が有りますが、ここでも同じ。 レンタカーに分厚いもの凄く細かい地図の本が乗せてありまして、何でこんなものがあるんかいな、邪魔だからどっかにしまっておけ、と思ったのですが町は複雑怪奇。おまけに川があってそれに阻まれて、行けるはずのところが目前にして行けない事もしばしば。 Today をツダイと発音するオーストラリア語にもめげずに、日本でもややこしくて行けそうにもないところに行った時はサスガに感激しました。

太陽はもちろん、オリオン座がさかさまに見える土地で、多分地磁気も逆転しているはずで、そういうところでチョット将来の事も考えてみるのも良いかもしれません。 意外にこういう所から未来の真に新しい枠組みが出てくるのかもしれません。 なんで南半球の人は下に落ちて行かないんかな、なんて考えていた頃が懐かしくなってきます。


4月20日

今月は連休も近いので(おいおい!)早い目に作る事が出来ました。 ついでに先日やっと発行された京都市の産業観光局が出している冊子に投稿したものをアップしました。 私もいろいろ言ってはいるのですが、悲しいかな単なる勤め人ですのでまとまったものを書くチャンスが有りませんでした。 これでもまとまっているとはとても言えないのですが、まあそれなりに完結しているでしょう(と思いたい)。 他にも著名な方が執筆しておられて、この種のものとしてはかなりのものではないかと、半分自画自賛しております。

先月紹介したJavaOneに行ってきました。 無理にハワイ回りにしたおかげかどうか分かりませんが、トラブルが次から次へと続出してとんでもない出張になってしまいました。 最後のほうは本気で本当に日本に戻れるのかしら? と不安になるほど散々でした。 しかし、戻ってから冷静になって考えてみると、カメラ(はどうでも良くて中のほとんど1本撮影済みのフィルム)を無くしたぐらいで、そんなに致命的な事は起こりませんでした。 まあこうやって無事にこのページを書いているくらいですから。

JavaOne に話を戻しますと、参加者は異句同音に 「高すぎる(参加費は1000ドル以上)主催した某S社さんのみが儲かった」、 「中身がない、結局MSに白旗を揚げたのと同じでは」 など酷評が多かったようです。 まあ一種のお祭りですからしょうがないでしょう。 当然それとは別に周辺のホテルではそれぞれ、うちわと言うか本音と言うかの日本で言えば料亭会議が行われていました。 もっとも日本と違って挨拶もなく三々五々集まってはつまみとビールかワインと言う極めて安上がりのパーティですが。 サンフランシスコ市長もこの週は Java Week だと言う感謝状なのか何なのか知りませんが書状を出していたそうですが、確かにいろんな面でサンフランシスコ市の経済の多少でも役には立ったのかと思います。 昨年は5000人今年は10,000人との事で、来年は3万人、しょうがなく? ラスベガスでやらんとアカンなーとはJava関係者の弁。 そんなアホな、今年より減るかも知れんぞ、とは参加者の弁。

ビルジョイも何となく過去の人になってしまいましたね。 最近の若い人は良く知らないんじゃないかなと思います。 最近の大学生(当然それなりのバリバリ)に聞いてもワークステーション時代の事は、ほとんど我々で言えば第2次世界大戦前と言う感じで、時代は完全に変わってしまいました。 たまたま、参加したと言うより半強制的に連れ込まれた開場では、Sun のマクネリーがやってきて、ジャバマークの皮ジャンを見せてあっという間に退散。 きっと掛け持ちでお座敷回りをしていたんでしょう。 同時に現れたビルジョイは何も言わず、開場の隅で誰かとボソボソ。 こっちは現役時代は神様みたいな存在でしたから、そんなに親しい訳でもないので近寄りませんでしたが、ほとんど誰も気にしていない様子でした。

2日目の午後、本会場にコメディアンが現れて漫談(なんでしょうね)を始める時にちょうど時間になって抜け出しましたが、コメディアンも何かMSと言うとみんなに受けるので、最初は戸惑っていました。 そのうちにコツを覚えて、日本流に言えば「郵便ポストの赤いのも消防車の赤いのもみんなMSが悪いんだーー」。 拍手喝采。


3月30日

だんだんと書く暇と書く事が無くなってきました。 常々「本質的な仕事の80%は20%の時間で出来る、従って1年のうち20%を本質的な仕事に割り振れば仕事の80%は出来る」と言っているのですが、言っているのとやっているのとでは大違い。 今月はギリギリになってしまいました。。。。

ごく最近に、さるアメリカの結構有名なベンチャーP社から電話がありました。 最近ではメールが良く使われるので、電話は珍しいのですが、何回かのメールのやり取りの後にかかってきました。 用件は数年前に当社を辞職して今はアメリカにいる技術者、それも当社を辞めてから2-3回ほど転職しているのですが、その人間の Reference つまり身元照会を兼ねた人事情報収集です。 大体こういうものは辞めた直前のところまでしか一般には追いかけませんが、この場合は何と2-3社前まで、おまけに日本まで電話で追いかけてくると言う徹底したやり方で、驚きました。 某MS社もこれくらいの事はやるそうです。 確かに新聞にいわゆる3行広告を出すだけで、びっくりするほどの履歴書が送られてきます。中には大手のそれなりの地位の人間も多くいます。 これが今をときめくインターネットがらみのベンチャーとなれば、いったいどれくらいの履歴書が集まったのか想像もつきません。

たまたま私もその会社には興味を持っていたので、電話してきた人事担当をつかまえて、本題そっちのけでかれこれ30分以上しゃべっていました。 ついでに余計なことをいろいろ言ってしまったので、ヒョットして不採用になったら、私のせいになるな、と少々心配しておりましたら、その直後に本人から採用になったと言うメールが入ってきました。 これで一件落着でめでたしめでたしでありました。 アクションはものすごく速いですね。。

それにしても最近はアメリカの株価が落ちていますね。 今日の新聞でも牧野さんが言っておられますが、日本の景気は心配ない、基本的な体力はある、 しかしアメリカの景気は89年ぐらいからずっと落ち込んでいない、2-3年以内には必ず落ち込むので、また日米貿易摩擦が再燃する、 と言う趣旨でした。 私も同感で、昨年の末あたりから先端ビジネスのインターネットに一服感が出てきて、それに連れてインターネット関連の株価が下落し、最近ではダウ平均そのものが落ちてきています。 願わくば急落ではなくて、徐々に落ちて軟着陸してほしいものです。 急落すれば、ただでさえ心理的に落ち込んでいる日本経済がまたもや失速することになるでしょう。

アメリカの話題になったのでついでにもう一つ。 クリントン政権になって始めて米国が受ける貿易障壁の報告書が出てきたとのことで、その中で当然日本も取り上げられていて、官僚による行政そのものも批判の対象になっています。 今までも何となく内政干渉的な印象が強くあったのですが、ここまで言われると、確かに問題はあるのですが、ほっといてくれと言いたくなります。 我々も横からゴチャゴチャ言われるより先にこっちからもいろいろ注文をつけたいものです。

4月2日からサンフランシスコで JavaOne と言う Java のコンファレンスがあります。 James Gosling とかが出てくるので楽しみです。 先月はふらっと入ったACM97で何とクオークを発見したと言うか理論を作ったと言うかのゲルマンが出てきてビックリ。 話の内容は結局あまりに哲学過ぎてほとんど分かりませんでしたが、この人だけは我慢できずに、恥も外聞も忘れてサインをもらいに行きました。 この他にもイーサネットのメトカルフェとか、最前列にいたおかげで回りは、それはもう超有名人だらけでした。 どうせ元コンピュータをやっていたと言う、回顧趣味の学会と思っていたら、とんでもなくて、過去50年のコンピュータの歴史の上に立って、次の50年を探ろうと言うとんでもない学会でした。 と言う事で期待していなかった割には、ものすごく面白い集まりでした。 Webでビデオでまだ見ることが出来るようなので覗いてみてはいかがでしょうか?

JavaOne に話を戻しますと、これに出席しようとしているのですが先ほどの話ではないですが、時間が無くて四苦八苦しています。 こういう時の飛行機の選び方、特に関西空港からの人への情報です。 関西空港からと言うと通常は、あのUA810便で6時か7時ごろ出発になります。 私の場合ですと、3時ごろ会社を出るとまあまあ間に合います。 ところが今回はどうしても5時まで会社にいなくてはならなくなりました。 それでいろいろ探すと、ありました。 ハワイ回りで夜の10時半関西空港発、到着は何と同じ日の夜の9時ごろにサンフランシスコに着くという、なんともバカバカしいと言うか、ご苦労様と言うか、その様な便がありましたので、もしこういう状況に陥った場合は考えてみたらどうでしょうか?


2月26日

最近ついに50回目の誕生日を迎えました。 もう、どんどんスピードが加速しているような感じでですね。 現在の会社に入社した頃は年長者と言っても30歳台。 ものすごいと言ってもせいぜい40歳台でそれ以上は想像も出来ませんでした。 と言っていてもしょうがないので、前回の続きの薬の話にしましょう。。。。

最近アメリカに行ってのお土産はビタミンと決めています。 ほとんど何でも日本で手に入るので、珍しいものはもうありませんよね。 特にお勧めはビタミンCで、10ドルぐらいで大きなビンが買えます。 なんでビタミンCだって? これは当然に風邪予防です。 私は喉が子供の頃から弱くて、ちょっと無理をすると喉が痛くなって次には必ず風邪を引きます。 何か頭が痛いな、とか喉が痛いな、とか身に覚えのあるときにサッと飲むと風邪を引きません。 引いてしまってからでは効き目が無いようです。 それも生半可な量では効きません、 グラム単位で飲む必要があるます。 最近では2000ミリグラムが登場して1錠ぐらいで効くようになりました。 良く風邪薬にビタミンC配合とあるようですが、数十ミリグラムの事が多く私の場合は、あんまり役に立たないようです。 ビタミンCは沢山飲めば良いと言うものではなく、飲みすぎると体外に排泄されてしまいます。 そこで錠剤がジワジワと溶け出すようなものがあり、これをタイムリリースと言っています。 最近は見かけなくなったと思って、必要無くなったのかと思ったのですが、また最近増えてきまして、やはり必要だと言う事でしょう。 ただし、ビタミンのこう言う大量摂取は例が無く、長期間の間には何らかの副作用が出てくるかも知れません。 こう言う事を考えてお試しください。 また健康診断の前には控えたほうが良いでしょう。 重要な別の病気のサインが隠れてしまう恐れがあります。 良く分かった医者はキチンと見分けます。 私の場合でも一度見破られてしまったことがあります。 変なデータが出ていますが、ビタミンCを飲んでませんか? と言われてしまいました。

この他にはビタミンEがかなり安く、数分の一程度で入手できます。 Webでの注文も出来るようですので、検索のページで探してみられると良いでしょう。 ただし、私がパラパラと見たところでは、なんとなく胡散臭いページもありましたので、気を付けてください。

この他に面白いものと言うと、亜鉛があります。 鉄と同じく体に必要な物と言う事ですが、 こう言う類のものは、鉄以外には知りませんでしたので、そう言えば見た事があるなー程度でした。 しかし、ほんとかうそか夜のナニに効くそうで、もしご興味がおありでしたら、試してみてください。 出来れば結果を報告頂くとここでご紹介します。 何度も言いますが、害は無いようですが、効果のほうは保証の限りでは全くありません。 (^^;

喉の話で思い出しましたが、日本では最近噴霧式の喉の薬が出てきたので便利になりましたが、ちょっと前まではなかったので、噴霧式のものを買って帰って使っていました。 日本のものと異なって、本当にバーッと霧吹きみたいに出る代物で、その代わり味はそれなりにつけてあります。 これを喉が痛いと言っては会議中もシュコシュコやっておりました。 ところがなんとなく癖になってきて、一日中手放せなくなりました。 何かおかしいと思って、良く効能書の成分を見てみると、何とアルコールがかなりのパーセントで入っているではありませんか。 これでは酒を飲みながら会議をしているのと同じで、道理で癖になると思いました。 後で聞いてみると、要するにアルコールで喉を麻痺させて痛みをなくすと言う事らしいのです。 知らなかったとは言えこうして合法的?に会議中にアルコールを噴霧する? と言うか飲む事が出来るわけで、いっそのこと代わりにウイスキーでも入れておいたら、もっと良く喉が直るのにと言う勝手なへ理屈をこねていますが、まだ実行しておりません残念ながら。



1月26日

こう言う風に、少なくとも毎月何かをわずかでも書くと言うのは結構大変なものです。 その割にはもっと時間がかかる報告書の類を結構書いてはいるのですが。 今月は思い付いて、薬の話にしましょう。

少し前のメラトニンブームは凄かったですね。 アメリカでは、いわゆるドラッグストア(文字どおり薬屋)が沢山ありまして、そこで山と売っています。一見普通のスーパーと変わらず、ビールや文房具やなんでも置いてあって、コンビニの大型と思って良いでしょう。 しかし、奥には必ず昔の日本の薬屋さんのように調合室があります。アメリカの一般の病院では薬は出してくれず、処方箋をもらってここでそれに従った薬を調合してくれるのです。がりがりと混ぜるのまでは昔と変わりませんが、それからエイと型に入れて錠剤にしてくれます。錠剤と言っても巨大で、飲むときには勇気が要ります。 ちょうど子供が錠剤を飲み下せないように、我々も恐怖に一瞬かられるのです。

ちなみにアメリカの病院は本当の大きな総合病院は別にして、いわゆる町医者と言うのは2つに分かれます。一つは日本のようなお医者さんで、一般には予約をしていきます。診察室には本当に何も無くて、聴診器、体温計、血圧計だけといっても良いでしょう。日本の病院を見慣れていると、少々頼りなくなりますが、ちょっとの風邪でもきちんと診察してくれます。 もう一つはクリニックで24時間営業。 ただし私は行ったことがありませんが、ものすごく高いと言う事です。 いわゆる純粋に事業として病院を経営するとこうなると言う事です。

私もそう何回も病院に行ったことがあるわけでもないのですが、やはり海外にいるときには最も気になるのが病気になることです。特に英語の病気に関する用語はラテン語そのままですから推定もつきません。日本語の病気の用語は元は中国語ですが、幸いなことに各々の漢字には意味があり、これでまったく知らない病名でも何とか推定がつくものですが、英語の場合はいちいち覚える必要があります。 一般の大学にはそのためにだけ授業があると聞いたことがあります。

ところで、メラトニンは試されましたか? 効くと言えば効く、効かないと言えば効かない、みたいなところがあって良くは分かりませんが、まあ効き目は無いことは無いでしょう。 私みたいに常に時差ぼけに悩まされている人間にはそれこそ夢みたいな話です。 一時は発ガン防止から長寿効果まであるとされて、大騒ぎになりました。気になる輸入規制ですが、やはり無制限と言うことは無くて、2ヶ月までの個人使用なら許されるようです。 お土産に山と買い込んでいる人がいましたが、これは違法です。

時差ぼけでお悩みの方へのアドバイスとしては、やはり時差ぼけも病気の一種だと観念して、お医者さんに相談される事を薦めます。 要するに寝なければならないときに寝れないわけで、そういう時にこそ睡眠薬があるのです。毒も薬とは良く言ったもので、まさにこう言うことを言うのでしょう。 きちんと訳を説明すれば、良いのを調合してくれます。 ただし個人差があるので、飲んだ朝気分が悪いとか、ふらつくときは変えてもらって自分に一番良いものを自分で見つける必要があります。 私がこれに気付いたのは、たまたまお医者さんの団体といっしょに旅行する時がありまして、その時こちらは夜、寝れずにウンウン言っているのに、さっと自分用に調合した薬で寝てしまったのです。 さすがに餅は餅屋で感心しました。

最近のはやりはDHEAと言うのもので、若返りの薬と言われていますが、肥満恐怖症のアメリカ人としてはやはりコレステロールが低くなるとか、血圧を下げるとか言う事に関心があるようです。先日飛行機に中のニュースを見ていたら出てきたので、スーパーに行くといっぱい置いてありました。 特に安売りの量販店に行くとこれと先ほどのメラトニンが山積みされていました。 ついでにWebを見るとそれこそ山とあって、日本からも買えるようです。 日本人も薬好きと良く言われますが、アメリカ人も好きですねー。 次回は今日書ききれなかった薬の話、第二弾と行きましょう。



97年 1月 1日

昨年はイントラネットに幕を開けた年でしたが、今年は何で幕を開くのでしょうか。 21世紀まで後4年となり、別に世紀が変わる事それ自体は何の必然性も無いとは思いつつ、それでもやはり気にはなって来ます。 MOSAIC、インターネット、JAVA、イントラネット、NC と立て続けに大きな衝撃を与える話題がありましたが、最近はちょっと一服感と言うか踊り場と言うか、そういう場面に差し掛かっていると思います。 もちろんこう言う時期には本当の事業の基礎が作り込まれていますので、話題を集めなくなったからと言って基本的な方向性が変化した事では無いでしょう。 実際の事業が実際的な仕事として粛々と進められていることでしょう。

初期のPCも今から見れば、実に簡単なもので、いわば個人の努力で出来てしまう物が多かったように思います。 MSの初期の Basic は確か4Kバイトではなかったかと思いますが、今やその1000倍の4Mバイトのソフトは珍しく無くなり、40Mバイトでも市販されている様になりました。 最初に 68000 の仕様を見たとき、16Mバイトのアドレス空間を何に使うのか全く想像もつきませんでした。 今となっては2次記憶空間は勿論のこと、メインメモリ空間としても不足してきました。 おそらく、過去の歴史の中で20年足らずの間にこれだけの変化をしたのは、初めてではないかと思います。 それに従って、特に半導体の製造のための投資額の大きさの伸びは年々大きくなります。 現時点では一つのプラントの投資額は大体、製鉄の高炉に匹敵するのではないでしょうか。 もっと大きな物は石油のコンビナートで、これは1桁は大きいと思いますが、先ほど言ったように伸びがどんどん大きくなるのでおそらくこれを超えるのは時間の問題だろうと思います。 もっと大きな物には原子炉がありますが、これは後処理を含めて完全に商業化されているとは言い難いので、これを除くと、そのうちには最大級の製造設備が誕生するでしょう。

こう言う状況と軌を一にしていると思われるのは、最近大企業が元気と言うことです。 残念ながら米国の話で、日本はまだまだ時間がかかると思います。 それにつけても思うのは、やはりアメリカは偉大と言う事です。 やっと追いついたと思ったらアッサリと先に行って、さらにその加速度はますます上がっています。 日本で今、問題になっている財政赤字にしても、金融再編成にしても、アメリカでは80年代の終わりに全て経験しているのです。 あの時銀行がどんどん潰れて、アメリカは全国規模のものが無いとか、いろいろ言われましたが、こうしてみると全く同じ道を歩んでいることがわかります。 金融再編成は終わり、財政赤字も目処がつき、株価の高値張り付きで、一種のバブルだと言う人もいますが、現時点ではインターネット関連事業と絡んで極めてうまく行っているように見えます。 そろそろ株価も頭打ちになってきましたが、急落すると米国だけでなく我々も大きな影響を受けるので、株価からは目が離せません。 閑話休題。

大企業元気の話に戻しますと、開発にしろ製造にしろ投資の大きさが大きくなっているので、やはり懐の大きい大企業が有利になってきます。 この辺は日本企業の十八番だったのですが、最近ではアメリカの会社に看板を奪われています。 さらに一時は諸悪の元凶の様に言われた、4半期ごとの決算もこのように変化の速い事業環境では、これもプラスに動いていると思います。 アメリカの後を何年か遅れでついていっている日本にいる我々は、いずれはこう言う状況になるのだと言うことを、お手本があるのですから、よく見てその時に備える事が大切でしょう。

今月1996年2月から11月号+自己紹介


11月29日

以前に約束した通りCOMDEXの報告をします。 最近は行っていなかったので、良く分かりませんでしたが、会場が昔のようにあちこち散らばっていないだけでも助かりました。 以前はシーザーズパレスのようなところまで展示があって、移動だけでも大変だった事を思い出します。飛行場の近くには、たくさんホテルが出来て、ニューヨークのミニチュア、と言っても1/3の大きさだそうですが、建設中でした。 おかげで私の行くはずのホテルがその陰になって見えずに大分遠回りしました。

さて、問題の話題ですが、初日のキーノートはインテルのアンディ。どこかの移民でえらく訛があるという事で覚悟をしていきましたが、何と言うことはなく、きれいな英語でした。 その中で彼曰く2011年には10GHzのクロックで100KMips、10億トランジスタのCPUになるとの事。 人間の脳細胞は確か140億と言われていますから、あと一桁に迫る訳で、自分が生きている内には行き着くところまで行き着くのか? と一瞬思いました。 2011年の話は、それでも設計の複雑さは4000倍になるそうです。この辺は半導体の設計者らしく、過去の苦労がにじみ出ています。 絶縁のための酸化膜は20オングスロームで、要するに原子が20層並ぶ計算になります。 デザインルールは0.07ミクロン。

1990年にインテルが2000年には2000Mipsになると言ったときは、そんなアホな、と思いましたが、今回は私にとって妙に説得性がありました。 たしかに4004、8008、8080、8086、386、486、Pentium と並べると確にそのカーブに乗っかっているわけです。 それで結局このCPUパワーを何に使うのかと言えば、要するにデジタルテレビ。 非常にリアリティのある画面でインタラクティブに何かをすると言うことでしょう。

次の日はビルゲイツ。例のごとくたいしたことは言わずに CEにも一言触れただけ。全体にはインターネット社会みたいなものを、いかにもお金のかかった様なデモと言うかプレゼンをやってくれました。 従って楽しかったが何も後には残りませんでした。

3日目はネットスケープのジムバークスデール。 何故かジムクラークは出てこない。 予想通りと言うかやはりと言うか、最初はお金の話で、いかにインターネット関連の会社のリターンが良いかという話から始まってみんなうんざり。 だけど最後は元マイクロソフトのエンジニアと言うのが95のGUIを取り込んだ物をデモしてやっとみんな満足。 これはステージの下でビルゲイツが密かに見ていたと言うウワサ話まであります。

展示は予想したNCもほとんどなく。ザウルスのようなPDAが幅をきかせていましたが何となく熱気は感じられませんでした。 音声認識は私も興味があっていろいろ見ましたが、確に数は大幅に増えていますが、内容は貧弱。 ほとんどデモとして動かないものまである始末。 目立ったのはビデオコンファレンスと言うかビデオカメラ。 単体からシステムまで何でもある。 当然ですが、特殊ハードが必要なものは画像品質が高く、不要なものは低いというそれだけですが、まあいろんなものがありました。

圧巻は40インチのTFTパネル。某S社さんです。 設備代が大変やろうな、とか何枚の内の一枚何やろ? とかいらん心配をしておりました。 某M社さんはこれも40インチのこっちはカラープラズマ。 これもサスガに迫力がありました。

通信関連では通常の電話線のモデムで57Kいける、と言うものがあり、丁度ラスベガスに行く前に半信半疑で買っておいたので、こっちも必死になって聞きました。 どうもクリスマス商戦目当てのものらしく、レジストレーションをしておけば、来年の1月にモジュールを送ってくるとのこと。 登り下りで速度が違うとか、ホスト側には何らかの仕掛けが必要とかいろいろあるみたいですが、通常の電話線で57Kが出るのは本当に有り難い。 と書いているといつまでも書かなければなりませんので、今日はこの辺で。。100


10月22日

ちょっとブックマークがたまってきたので、整理を兼ねて、ここに収録してみました。 たくさんあると思いましたが整理をすると、意外に少ないものです。 特にシェアウエアはまあまあそろっていると思います。

最近プリントサーバーに凝っていろいろコレクションをしております。一昔前は一つの大きなワークステーションをプリントサーバに使っておりました。 現在でも結構こういう贅沢がまかりとおっています。 何しろ、立派なプリンタが2万円そこそこで入手できるのですから、何が主役で何が脇役かわからなくなってきました。 最近はごく小型のちょっと前ならプリントバッファと言われていたような小さな箱がプリントサーバーになっています。 たばこの箱の大きさの中に TCP/IP を始め Netware や NetBEUI が実装されています。 中には Telnet でログインできたり、 Web サーバーになっているのもさえあります。

これを使うと、パラレルポートが空きますので、他のもっと重要なビデオカメラとかスキャナーなどを専用で使えるようになります。 いずれにしても、せっかくの双方向のパラレルポートを単方向のめったに使わないプリンタに使うのはそれこそもったいないというものです。

更には、PCが2台、プリンタが2台という構成では、どういう風にプリンタの切り替え器をつないでみても使い勝手の良いつなぎかたは出来ません。 これが LAN とプリンタバッファを使うことによっていとも簡単に解決できます。 もっともプリントサーバーといっても万能ではなく結構使い勝手が良くないものもあります。 当初想定した、 Win95 をエミュレートするようなものはまだ無いようです。 これも時間の問題とは思いますが、現時点ではかなりメーカ間の落差が大きく、 台湾製のものなどはほとんどプリントサーバとは言えないようなものまである様子です。


10月5日

前回にホームページの訪問カウンターを付けたところ、私の予想を遥かに越えるアクセスをいただいているようで、御礼申し上げます。これからは気を引き締めて充実させていきたいと思っています。

最近、立て続けにイントラネットの講演依頼があり、まったく同じ事を喋るわけにもいかず、少しずつ話題を変えながら、つたない話を申し上げましたが、やはり印象に残ったのはその関心の高さです。イントラネットにはいろいろな側面があるわけですが、私が強調しているのは業務革新というかそれよりもっと大きな捕らえかたで、企業構造の変革、更にはエンタープライズ・トランスフォーメーション(企業変身)と言う言葉もあるように、企業、組織のあり方に大いに関連してると言う事です。 戦後50年を超えて21世紀を迎えようとしている今、企業や組織のあり方が根本的に問われているのでしょう。 私もすでに年俸制になっておりますし、やがてはどんどん若年層にも広がろうとしています。 この点も大きな流れの一部として「企業変身」のささやかな第一歩でしょうがやがては大きな奔流となって21世紀の幕開けを迎えることでしょう。

先日、ヒョンな事からアトランタの Networld+Inerop を覗いてくる事が出来ました。 ソフトバンクが買収してから初めてだったので、さぞかし日本人が多いだろうと思っていましたが、予想に反してそんなに目立ちませんでした。 ソフトバンクの影響としては、事務局の対応がかなり良くなったと言うことを聞きました。 大体このような展示会ではレジストレーションが大変で、下手をすると初日の午前中がつぶれてしまうこともあります。 それで今回はあらかじめWebで申し込んでおき、当日バッジをピックアップすることにして、当日は早々と8時前に行ったところ、まだ受け付けは始まっていなくて、少々待った後受付に行くと、ノートブックがずらっと並んでいて、自分でセルフサービスで名前を打ち込んで自分を探し出して登録して、別のカウンターでバッジをもらうのです。 暗証番号も何も無し。 適当に名前を入れて選択すれば誰でもピックアップできるでしょう。 アメリカらしいおおらかなやり方です。 きっと間違って他の人のバッジをピックアップした人も多いのではと人事ながら心配します。

Webでの申し込みは完全に暗号化されているのと、自動化されています。申し込みのページに入ると Netscape の左下の鍵のマークの割れていたのがつながって、セキュア状態に入ったのを示します。 クレジットカード番号をいれると、今度はそれの認証を自動でやりますので数秒待たなくてはなりませんが、それですべて終了です。 最近の Web でのお金の支払いは全てこういう風になっていて、ソフトですとすぐさまダウンロードの為のキーワードをメールで送ってきます。 要するに販売は一種の装置産業になっているわけです。 特にソフトウエアの場合はダウンロードと言う手が取れますから、配送問題も無いわけです。 ECや何のと大騒ぎしている間に、アメリカの企業変身を済ませた企業やベンチャーは実質的に完全なECを実現してしまっているわけです。

展示会の内容ですが、雑誌などには極めてうまく紹介されています。 一人ではなかなかあそこまでは見切れません。 またプレス発表などは別にやるので、どうしても雑誌などの方が情報量は多くなってしまいます。 それでは雑誌を見ておれば良いのか,時間とお金をかけて行くことも無いのでは? と言う疑問が湧いてきますが、やはり百聞は一見にしかずと言うことわざの通り、現場を見ずに雑誌の記事を読むのと、見てから読むのでは雲泥の差があります。 最近は専用のツアーも多くあるようです。 オムロンでもやっと最近ツアーを企画するようになりました(PR)。

話題は何といってもギガイーサ。 やっと100Mイーサが使えるようになったと思ったら、ギガイーサです。規格も本決まりになっていないのにすでに5社ぐらいから製品のアナウンスがありました。C&CのCPUはすでに10年間で100倍以上のスピードアップを実現し、変身をとげましたが、通信は立ち後れていました。 これでやっと追いつく感じです。 しかし、LANはともかくWANに関しての変身はまだまだで、特に日本は立ち後れています。 各家庭や事務所に156Mとか600Mの通信インフラが当たり前になる時代は本当に世の中が変身したときでしょう。 それこそ、本当に産業革命以来の情報通信革命と後世のの歴史家は評価するに違いありません。


8月27日

昨日ばたばたと外出の直前に思い付いて、ホームページのカウンターを作りました。いろいろやり方はありそうですが、最も簡単な方法でやってみました。興味のある方は一度お試しください。

先日ヒョンな事からラスベガスで開催されるCOMDEXに行くことになりました。最近は行っていないのでどう変化しているのか良く分かりませんが、ともかく最大のPCのショーでしょう。85年当時はまだコンピュータのショーという感じでワークステーションなども出展されていましたが、数年後から完全にPCのショーになってしまいました。だいたい一通り見るだけでも3日はかかります。特に面白い穴場的なものは本館ではなくて周辺のホテルでやっている所にあるのですが当然確率は低いので無駄足になりがちです。

今でも思い出すのは、ラップトップのパイオニアのGridと言う会社がはじめてノートブックを出したときです。みんなブースにわーっとたかっているので何かと思えばノートブックです。筐体はマグネシュウム合金で出来ていて、少々ふんずけても大丈夫と言うのが謳い文句です。その後個別に訪問して、日本で作らせろと言ったときは、この筐体が日本ではできんだろう、アメリカでも1社しかできない、と言われました。 当時は日本世界の工場になるんだとばかり製造の話ばかりをして回っておりましたが、あれよあれよと言うまに、PCですらアメリカで作られるようになってしまいました。

11月の後半にはCOMDEX報告が出来るものと思っていますのでご期待ください。


8月1日

構いろんな方からお便りをいただきまして、何とかしないといけないと思っ ておりましたが、今日は頑張ってホームページの改築をしているところです。昨 今はインターネット・ブームも一段落と言うか、どんどん前に進んでネットワー クコンピュータとかJAVAに話題が集中して来ています。ECも話題を集めて いますが、例のオリンピックでは意外に不評であったと新聞には出ていました。

今年に入って Windows 95にしようと、いろいろ試してみました。 合計6台に延べ10回以上のインストールを繰り返して、やっと最近使えるようになりました。 やはり何と言ってもありがたいのはネットワーク。 ほとんどの事は95だけで出来るようになっています。 これなら自宅にLANを張ろうという気にもなります。 プリンタやファイルの共有から始まって、書斎と離れたリビングでノートブックでテレビを見ながら使うとかいろいろ考えられます。 3.1の時代は大変で、インターネットに繋ぐのが精いっぱいで、それもコンベンショナル・メモリの節約のためのありとあらゆる手を駆使してやっとつかえるという風でした。 マイクロソフトの考えとは裏腹にインターネットやネットワークが95を支えていると言うのは、皮肉な気がします。 ともあれ時代は動いているという事でしょう。 今後は出来るだけ毎月ごとに最新の話題やアメリカ状況を載せていきたいと思っております。


自己紹介です

1947年 大阪生まれ、大阪府立高津高等学校

大阪府立大学電子工学部および大学院修士過程終了

アマ無線が盛んなころ、51.00MHz 1波しか使わない頃に車に積んで走りまわっていました。ついでに1.5万円で買った中古車で日本中を走り回っていました。丁度万博の年には大学院だったので、暇に任せてアルバイトにはげんで、当時の初任給の数倍を稼いでおりました。オムロン入社後、オリンピックにア ーチェリーが採用される前にオムロンにクラブを作ったりしていました。暇を見てはスキーに精を出し、写真に凝って、当時の事ですからモノクロで全紙に焼いては喜んでおりました。

昨今はインターネットばやりで、私もこうして自己紹介を世界に? 向かって発信できる時代になりました。元々ワークステーション開発をやったりしていましたので、インターネットはよく知っていましたが、ここまでメジャーになろうとは誰も予想もしませんでした。今年に入るとイントラネットばやりで、 尤も我々もインナーネットとかインフラネットとか言っておりました。しかし、これで今までもやもやしていたインターネットの事業部分がなんとなく見えてきて、元気が出てきたのではないでしょうか。 1996年2月